神武さん

久しぶりに撥(バチ)を握った。
神武さんに向けての、JC太鼓の練習。
しっかりと曲をたたくのはきっと6年ぶり(?)くらい。

もちろん、JC太鼓には格別の思い入れがある。
特に”神武さん”。
太鼓の山車が橘通り1丁目〜旭通りに差し掛かると、
必ず亡父が見物に来ていた。

大旗を振る私の姿を見て、
どこまでも歩いてついてきてくれる姿は
“父っ子”だった私にとっては、
いい歳をして本当に誇らしかった…。

先代社長(父)が倒れてから、
家業である寿司店の調理現場を支えるために、
手にマメをつくる太鼓はやめた。
父が他界してからは、社業の拡大のために、
ひたすら走ってきた。
「忙しいから」はいいわけで、
ほんとは父のいない神武さんに参加することが辛かった。

気がついたら、もうすぐ40歳。
JC太鼓は「40歳で引退」という決まりがある。

私の小学校からの親友で、
高校時代も山岳部でともに過ごしたヒロユキ君が
一足先に今年引退を迎える。
幼少のころから太鼓の音が大好きで、
「まつりみやざき」に出かけては、
JC太鼓を聞いていたほどの“熱烈なファン”が、
隊長として卒業を迎える。

最後のまつり。

最後の「神武さん」。

今年はJC太鼓の一員として、最後の太鼓舞台に出たい。
九州一の大旗を振りかざして、太鼓山車の先頭を歩きたい。



久しぶりに撥を握らせて頂き、練習の輪の中に参加した。

心地よい緊張感。

太鼓は、曲がスタートすれば、誰も止めることはできない。
自身との問答を繰り返しながら、少しずつ輪の中に溶け込んでいく…。

感覚が戻ってくる。

心臓と大太鼓の“鼓動”がシンクロする感じが、心地良い。

太鼓打ちは、ひとたびステージに立てば、
何も言い訳ができない場所に放り出されるのだから、
ある意味孤独である。
しかし、“個”が合わさり合って一つの輪になり、
そしてそれが精神世界の”和“を創りだすとき、
大きな連帯感に包まれる。

ふと、自分が属するフードビジネスにおける理念と重なる。
「サービスは掛け算である」と言われる。
一人ひとりの素晴らしいサービスは、それが重なり合って大きな感動を生む。
その反面、掛け算である以上、一人が心無いサービスをしたら…?
結果は“ゼロ”…すなわち、すべてが台無しとなってしまうのだ。

”ひたむき”な努力を、観客は見ている。

太鼓も、全員が真剣に100%の力を出し切って、
体力の限界を越えて演奏し観客の感動を得ることができる。
一人が手を抜けば、それは観衆の心に何も響きを残さない。

技術ではない。

一所懸命、精一杯の気持ちが感動を生むのである。

「何事にも、手を抜かないこと。」

6年ぶりの鼓動は、大きな、大切な何かを思い出させてくれた。

10月31日、11月1日は「神武さん」。

橘通りに勇壮な古代絵巻が繰り広げられ、
その殿役(しんがり)を務めるのは
JC太鼓第14代隊長、井上弘之である。
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