シンプルな現実

私の「挑戦」を阻むものは何なのか?

昔からずーっと考えてきた…。

生きていけば、大人になれば
様々な関わりが増えていって
人生がだんだんと”しがらんで”くる。

「挑戦」しようとするときに
それらの”しがらみ”を
できない理由にしてきた。

私は言い訳だらけの人生だった。

すし屋の息子だからできっこない。
宮崎の田舎だから無理だ。
目立ちたくない。
反論して攻撃されるのが怖い。


コチラの正論は
あちらには反論であり、
戦ってまで突破すべきものは
そんなに存在しない。

そう思って”冷めて”いた。

子供のころは
もっとシンプルだった。

ひらめきが”現実”だった。

「思ったことは全て実現できる」
そう感じて生きていた。

「挑戦」することのドキドキの中で
毎日がキラキラと輝いていた…。

いつのころからか

人は「できない」理由を探すようになる。

それは無意識の
自己防衛本能なのかもしれない。

倫理観や道徳観に従って
自己抑制を覚えることと重なり、
「自己実現」のための挑戦までも
抑制していくのか?

本当の「なりたい自分」と
「今の自分」のギャップに悩んでいた。

どちらが「現実の自分」なのか?

過去にとらわれる(囚われる)と
今こそが現実世界であると
誤解をする。

なりたい自分の夢を抑制し
”しがらみ”のせいにして
実現するパワーを失う。

大人達に”できないこと”を相談しても
「それが成長するということさ」
と言われる。

無理やり納得させて生きてきた。

モヤモヤを消せずに
一人でいることが怖くて
いつも誰かとつるんでは
不安を忘れようとしていた。

そんな毎日が続いていた
20代の日々…。



自分が大人になるにしたがって
やっと「現実」の定義が分かってきた。

それはすべて
「自分自身が決めることである」
ということに素直に気付いた。

挑戦を特別なセレモニーにしない。

「挑戦すること」
「自分の知らない世界に飛び込むこと」

今の自分にとって
それは決して特別なことではない。

挑戦を日常にする。

戦うことを生活の一部にする。

”しがらみ”は倫理的抑制として
しっかりと絆を保ちながら
日常をチャレンジの連続に重ねる。

挑戦することが
自分自身の生活の一部であれば
それはストレスにはならない。

生活の一部であれば
自分が自分の信じたことを実行するのに
何の躊躇もいらない。

自分を取り巻く環境や
人間関係の“しがらみ”は
私の「挑戦」を阻むものではなかった。

私を縛り付けてきたもの…
それは「自分自身」だった。

鎖を断ち切るのは自分自身である。

「挑戦」を拒むのは
未知の世界に対する恐怖心。

自分を変えることに対する
”恐れ”がストレスになる。

その恐怖心を消すのは
未来への想像力と臨場感。

言い訳だらけの人生を断ち切って
新しい世界に飛び込んでみれば
そこは居心地の良い緊張感に満ちた
本当の自分が待っていた。

自分にはできない、能力がない、魅力がない
知識が無い…ムリだ…

そう思っていたら
結局はその通りの人生が「現実」になる。
自己犠牲の想像力の塊が
自分自身を押しつぶしていく…。

でも自分自身の未来は
自分自身が創っているのだという
シンプルな現実に気付けば
勇気がわいてくる。

自己犠牲の道と
自己実現の道。

二つの道は
いつも目の前にある。

選ぶのは自分自身。

ありがたいことに
自分を変えるチャンスは
いつもそこにある。

勇気を持って
最初の一歩を踏み出すだけ。

「挑戦」を阻む者は
自分自身であると気づけば
”しがらみ”への言い訳を断ち切れば
新しい日常が待っている。

自己実現の道は
どっちなのか?

分かれ道で迷った時は
シンプルな選択をすればいい。

ただシンプルに
”ワクワクする方”へ
進めばいい。

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